チベット旅行中にフリーチベットTシャツのせいで国外追放になったけど、その後訪れたインドのダラムサラでダライラマに会えた日本人夫婦の旅行記

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チベット国旗

神々の座チベット
しかし現実に行ってみるとどうなのか。
ダライラマの祝福を受けるとはどういうことなのか。
1992年に実際にチベットから国外追放になりながら、インドのダラムサラまで旅して、
不思議なめぐり合わせで、ダライラマの祝福を受けることができた日本人夫婦の貴重な旅行記です。


ダライラマの祝福  

中国から国外追放された私たちはダライラマに会おうとひらめいた!!

「明朝、外国人管理局に出頭しろ」  

私が中国から国外追放になったのは1992年の7月2日。チベットで、でした。
理由はチベット人を扇動し動揺させた罪です。
その時私は主人と友人とで旅行中でした。

フリーチベットTシャツ

私がいったい何をしたかというと<Free TIBET>(チベット独立)という文字と昔の国旗が刺繍してあるTシャツを着ていたからです。

この三年前(1989年)、私は新婚旅行で初めてチベットに行きました。
この時、チベット人の中国政府に対する暴動が発生。
戒厳令がしかれ私達は国外退去になりました。
この時他の旅行者達と一緒に作ったのがこの
Free TIBET>のTシャツだったのです。
これを着てネパールやインドを旅するとチベット人が喜ぶので、私は大得意でした。
だから今回軽い気持ちで、荷作りの中にTシャツも入れたわけです。

ゲストハウス

三年ぶりのチベットはなつかしくて前にも泊まったゲストハウスに着いた時は胸がいっぱいになりました。
暴動の時焼かれて壊された建物もきれいになり店も増えてました。
しかし街には中国解放軍の軍人がいっぱいいて、公安(ポリス)もたくさんいます。
私達の旅は自由旅行ではなく漢人のガイドつきです。(1989年以来ガイドつき団体旅行のみになってしまった)
「観光も買物もすべてガイドと団体行動して下さい」
旅行社の人から言われ、いやだなぁとがっかりする。
実は私はラサ市内に入った時<Free TIBET>のTシャツを着ていたのですが、漢人のガイドの目もあり『このTシャツを着るのはまずいな』と気づいたのです。
だからTシャツの上からスカーフをして隠していました。
ゲストハウスの中では一時間くらいTシャツのままでいました。
そしてその後はこれは着ないでおこうとリュックの中にしまっておきました。

チベット/中国解放軍

それから三日後の夜です。
私の部屋に公安が六人ぐらいやってきて「服を出しなさい」と言います。
『あ、やっぱりあのTシャツか、まずいな』と思い最初はない、知らないととぼけましたが、相手は引き下がりません。
こういう時の中国語は不気味でよけいこわくなりました。
しょうがない、何も悪い事はしていないんだし、正直に出そうとリュックの中身を開けました。
例のTシャツが出てくると公安達は『これだ、これだ』という感じで、カメラで写真を撮ったり、私の顔も写されました。

私は訳もわからないのに罪人扱いされているようで怒りがこみ上げてましたが、ここで抵抗したらますます罪が重くなるようで、黙っていました。
パスポートを取り上げ「明朝、外国人管理局に出頭しろ」と言って公安達は帰って行きました。
私はどうやら密告されたのです。
眠ろうとしても誰かに見張られているみたいで、こわかった。

翌日出頭しました。
私はたかがTシャツくらいでなぜこんなに大騒ぎになるのかと、腹が立つやら情けないやら。
いろんな書類を書かされて「7月5日までに中国から出ていくこと」と言い渡されました。
まさか国外追放とはショックでした(罰金もとられた!)
ヒドイ、私は何も悪い事はしていないのに理不尽だー!
気持のやり場のない私はワーワーと泣きました。(半分はわざと、やけっぱち)
しかし泣いているのもバカバカしくなり、サバサバしてきました。
これも自分に起きた事なら受け入れてみようと決心しました。

そしたら突然『ダライラマに会いに行こう』とひらめいてうれしくてしようがなくなりました。
実は私はダライラマにはそれほど興味がなかったのですが、今回ラサに入る前、上海で知り合った日本人男性からダライラマに会った時の話を聞きとても会いたくなっていたのです。
なんだかおもしろい方向に自分が向かっているぞ、とワクワクしてきました

そしてダラムサラへ  

ダラムサラ

ダライラマの住むダラムサラは北インドにあります。
ヒマラヤが見える山の上にあるチベット人の町です。
店では<Free TIBET>のTシャツがいっぱい売っていて、そこかしこに<Free TIBET.Chinese GO OUT>(中国人は出ていけ)のステッカーが貼られています。
私は何だかおかしくて笑いが止まりません。
早速、ダライラマ事務所に行って謁見を申し込むと不可能という返事。
下調べもせずにいきなりやって来て、その上、滞在できるのは三日間という私達の状況では無理だったのかな、と己の無謀さに気づくのでした。

ダラムサラ 雨やどり

しかし不思議なめぐり合わせで私達はダライラマ
会えるのです。
たまたまお参りに行ったお寺で私達は雨やどりをしていました。
正面をぼんやり見ていると大きな塀があって
チベット人達がゾロゾロ集まってきます。
何があるのかなぁと見ているとどんどん人が集まってきて、皆うれしそうな顔をして手にはカタ(祝福の布)を持っています。
そこはダライラマの家だったんです!
集まった人達はこれから一般謁見するのです。
私達はドキドキしながら係の人に入れてほしいと頼みました。
約束していない人はだめだよ、と断られたのですが『会える』という確信がありました。
もう一度心からお願いするとOKでした。
本当にうれしかった!
(この後、私は身体検査でたまたまウエストバッグの中の万能ナイフがみつかってしまい、
即、没収。私は本当にうかつ)
数分間の対面でしたが感動的でした。

ダライラマの祝福

ダライラマは暖かく優しく、そして英知の光に満ち、毅然として、
その上とても『普通の人』という感じがしました。
祝福を受けた時、私の中の聖なる霊性がわきおこってくるのを
感じました。
ダライラマに会えたのはとても幸せだったけれど、ここに来れたのは追放されたからなんだなぁ...。
そうすると私に中国から出て行け、と言った人も私を密告した人も
公安も、Tシャツを作ろうと言った人も
私にとっては欠かすことのできない必要な人達であったわけです。
すべてが必要があって起きてくるんだなぁ、
すべての人が必要なんだなぁ、としみじみ感じました。
最初、密告した人がいるから私は追放された。
何て不運なんだと思った訳だけれど、その事から私は導かれるように旅をし、
ダライラマに会えたわけです。
人生、宇宙、すべてに感嘆せずにはいられません。
すばらしい旅に感謝しています。


岡倉ゆかり

不思議なめぐり合わせ

チベットへの支援

Dalai Rama in Dharmsala - YouTube  



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